日本のコーヒーの歴史を紐解く|初上陸は出島で初めて飲んだのは通訳

今や日本でも当たり前に飲まれていて、愛好家も多いコーヒーですが、そういえば最初から日本にあった飲み物ではないですよね。

  • 一体いつ、どの様にして日本へ入ってきたのか?
  • 初めてコーヒーを飲んだ日本人って?
  • 日本でどの様に広まっていったのか?

ざまざまな疑問が頭をよぎりました。

 

実は、日本とコーヒーの歴史はまだまだ浅く、約200年ちょっと。

コーヒーの日本初上陸は、長崎県の出島と言われています。

最初はなかなか広がらなかったコーヒーですが、どの様にして「当たり前の飲み物」としての立場を得たのでしょうか。

この記事では、200年前にどの様に日本とコーヒーの縁が繋がったかを、歴史と一緒に紐解いていこうと思います!

これを読めば、あなたの一杯のコーヒーへの想いも更に深まること間違いなしです。

 

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1分でわかる日本のコーヒーの歴史

世界のコーヒー 歴史(始まり)
801年 9世紀頃にコーヒーの発見!(カルディの山羊説)
1201年 13世紀頃に飲み物として認識される
日本のコーヒー 歴史
江戸時代
1640年代 日本へコーヒー初上陸(長崎県出島説)
1826年 オランダ人医師シーボルトが「薬」としてコーヒーを広める
1858年 正式に日本にコーヒー豆輸入
明治時代
1868年〜 外国人居留地やホテルが作られコーヒーを口にする機会増える
1888年 日本最初の喫茶店「可否茶館」が東京にオープン
大正時代
1900年代 文化サロン的役割のカフェができる(カフェ文化の風)
1913年 高級珈琲店の中『カフェパウリスタ』という低価格帯のカフェが大人気になる
昭和時代
1939年 第二次世界大戦中は『敵国飲料』として輸入停止になる
1950年 戦後に輸入が再開される。豆に続きインスタントコーヒーの輸入が盛んになる(第一次珈琲ブーム)
1969年 世界で初めてミルク入りの缶コーヒーが発売される(自動販売機の普及)
1980年代 喫茶店が増加し、更にコーヒー文化が更に盛り上がっていく
平成時代
1989年〜 コーヒーチェーン店の誕生とカフェブーム

 

ここからは、日本のコーヒーの歴史においてポイントとなることについて掘り下げてご紹介していきます

 

コーヒー日本初上陸は長崎県の出島

コーヒーという飲み物が日本に初上陸したのは、江戸時代の初期です。

まだ鎖国中だった日本で、唯一外国への扉が開かれていたのが『長崎県 出島』ですが、ここにオランダ人の商人がコーヒーを持ち込んだと言われています。

ただ、この頃に外国人と接触できる日本人はほんの一部だけ。(役人・商人・通訳・遊女のみ)

コーヒーの最初の記録と言われているのが、1797年(寛政9年)の「長崎寄合町諸事書上控」

その中に、長崎丸山の遊女への贈り物の一つとして『コヲヒ豆一箱。チョクラート』という文章があるのが最初と言われています。

遊女たちはコーヒーを飲んでいたのが想像できる一文ですよね!

同時に、この頃はまだコーヒーが日本に広く知れ渡るということはなかったのですね。

初めてコーヒーを飲んだ日本人は通訳?

日本で初めてコーヒーを飲んだ人は誰なんでしょう?

残念ながら、はっきりとした記録は残っていないそうです。

ただ、諸説ある中で有力候補なのが2人浮上しています。

1:大田南畝(ナンポ)→役人
2:吉雄耕牛→通訳

1の大田南畝(ナンポ)さんは、文献の中で「焦げ臭くて味わうに耐えず」と記しています。

2の吉雄耕牛さんは、オランダ語の通訳をしていた方で、医師であり蘭学者でもあるとのこと。

1776年の「日本紀行」にて「二、三人の通詞(通訳)がコーヒーの味を知るのみである」との記載があり、この著者であるオランダ商館医のツンベルクと親交の深かった吉雄さんではないか説があります。

1の大田さん説を唱えている方が多くいらっしゃいましたが、いずれにしても日本人で初めてコーヒーを飲んだ人は「なんだこの苦い飲み物は!」と思ったんだろうなあ、と想像できますよね(笑)

 

日本でコーヒーが広まった理由は「薬」としての役割から

1分でわかる日本のコーヒーの歴史でもお伝えした様に、江戸時代にコーヒーが初上陸しても、すぐには日本国内にコーヒーは広がったわけではないんですよね。

日本でコーヒーを飲むのが当たり前、になるまでの流れとしては、以下の通りです。

  1. 「薬」としてコーヒーが取り入れられる
  2. 西洋文化が入ってきてコーヒーを出すお店が増える
  3. 日本初の喫茶店がオープンする
  4. カフェパウリスタの登場で、コーヒーが手頃な価格で飲める様になる
  5. インスタントコーヒーの輸入が始まる
  6. 喫茶店&カフェの増加

 

最初は「薬」として始まったのですね!

1:ビタミン不足を補う役割としてコーヒーが使われる

1800年代は各地にアイヌ民族との交易所がありましたが、1806年にそこがロシア海軍に襲われます。

そこで幕府は、東北の諸藩士を警備に派遣しますが、寒さと食糧不足で多くの兵士が「水腫」(全身にリンパ液がたまる病)に倒れてしまいます。

ビタミン不足になったことが原因とも言われていて、その際に水腫病に効果的だといわれていたコーヒーに着目。

兵士たちに貴重なコーヒーを支給したということです。

1855年頃にも、幕府が薬用として兵士にコーヒーを用意したという記録も残っていて、最初は『薬』としてコーヒーが配布されていたんですね。

 

コーヒーを飲むことができずに亡くなった藩士たちを悼んで建てられた
「津軽藩兵詰合の記念碑」はコーヒー豆をかたどって作られてますよ!
引用元:http://www.welcome.wakkanai.hokkaido.jp/

2:オランダ人医師シーボルトもコーヒーを「薬」として宣伝

江戸時代末期(1823年頃)に、出島のオランダ商館にやってきたドイツ人医師シーボルトは、日本でまだコーヒーを飲む文化がないことにびっくりします。

そして、日本人がコーヒーを飲まないのはすすめ方が悪いからだと考え、コーヒーを身体に良いもの『薬』として紹介します。

『薬品応手録』(シーボルト著書)に、コーヒーの飲用をすすめる文章を掲載し、健康や長寿に効果的な薬であることをアピールしたのです。

シーボルトはお医者さんだけあって、宣伝方法の考え方にも長けていたのですね!

 

ちなみに、その時はコーヒーを「骨喜(コッヒー)」と紹介してます。

日本の喫茶店&カフェの歴史とコーヒーの普及の流れ

薬としてのコーヒー、が日本での広まりの第一歩でしたが、時代が進むにつれて今のコーヒーとしての役割へとシフトしていきます。

その役割に大きく関わってきたのが『喫茶店』の存在。

西洋文化が積極的に取り入れれる様になるにつれて、日本にも喫茶店が誕生してきます。

ここでは、日本の喫茶店の歴史とコーヒーの普及の流れを解説しています!

 

1:1888年に日本初の本格喫茶店『可否茶館』がオープン

明治時代になると、文明開化の中色んな西洋料理店ができます。

そこでコーヒーもメニューに加えられて、出される様に。

そして、1888年(明治21年)4月13日に、東京・下谷黒門町に日本最初の喫茶店『可否茶館』がオープンします。

鄭永慶(ていえいけい)という人が自宅を洋館に改装して開いたお店で、ビリヤードなどの娯楽や書籍に加えて、シャワールームまで完備されていたといいます。

この頃はまだコーヒーは高級品扱いだった

『可否茶館』では

  • コーヒー:一銭五厘
  • 牛乳入りコーヒー:二銭

で販売されていた様で、この頃のお蕎麦が一杯約一銭であることを考えると、やはり贅沢品の扱いになるのでしょうね。

「可否茶館」は複合カフェのようなスタイルだったということですが、この様なスタイルは当時はあまり受け入れられずに、残念ながら3年程で閉まってしまいます。

 

2:1911年に日本初のカフェ『カフェー・プランタン』がオープン

明治時代中頃から、少しずつコーヒーを楽しむためのお店が増えていきます。

1911年(明治44年)「日本初のカフェ」として、東京の銀座に『カフェー・プランタン』がオープンします。

このお店は、東京美術学校出身の松山省三さんが「パリのカフェのように文人や画家達が集い芸術談義をできるような場所を作りたい!」と、友人と開業しました。

プランタンでは、コーヒー以外にも洋酒も揃っていて、更には当時の料理ではまだ珍しいソーセージやマカロニグラタンなどを提供していたそうです。

後には、焼きサンドイッチも名物メニューとして有名になったとのことで、本当に今のカフェの先駆け的存在のお店ですね!

 

ちなみに「プランタン」=フランス語で「春」の意味だそうです

3:1913年に大衆向けのカフェ『カフェパウリスタ』がオープン

カフェや喫茶店が出来てきたとはいえ、まだまだ高級品としてのイメージが高かったコーヒーですが、そんな中で低価格でコーヒーを提供する『カフェパウリスタ』がオープンします。

ブラジルコーヒーの販路拡大とPRのためのお店としてオープンした「カフェパウリスタ」は、ブラジル政府から無償でコーヒー豆を提供されていたので、低価格でのコーヒー提供が可能だったとか。

他のお店がコーヒー1杯15銭で販売していたところを、パウリスタは1杯5銭だったということなので、この差は大きいですよね!

一番多い時には20店舗にまで拡大していたというので、今でいうチェーン店のカフェ並みに増えていったのがわかります。

 

キーコーヒーの創業者は、このパウリスタで働いていたらしいですよ!

4:1929年にカフェーの取締りと純喫茶の急増

1925年(大正14年)頃には、関東大震災の復興に伴いカフェーが急増します。

ただ、お客様の相手をする「女給」サービスやアルコールも提供するカフェーの中から、キャバレーの様な形態のものも増えていった為、1929年(昭和4年)には取締令が発布されてしまいます。

そこから、カフェーが減り「喫茶店」や「純喫茶」が急増していくことになります。

この頃のコーヒー豆の輸入量はピークを迎えるものの、1938年(昭和13年)には戦時中に『敵国飲料』として輸入停止や規制がされてしまいます。

5:1950年〜戦後のコーヒー豆輸入再開と音楽喫茶のブーム

第二次世界大戦後に、コーヒー豆の輸入が再開されます。

1950年(昭和25年)以降には、再び喫茶店ブームが始まりますが、この頃は各お店のオーナーさんの趣味が反映された喫茶店が増えたそう。

中でも、色んなジャンルの音楽によって分けられた「音楽喫茶」が人気だった様です。

この頃に、今でも営業を続ける名曲喫茶ライオンもオープンします。(1926年(昭和元年)〜)

東京都渋谷区にあるこの喫茶店は、内装などからも当時の雰囲気を感じることが出来るお店でファンも多いですよね!

今のお店は戦後・昭和25年に、再建されたものなんだとか。

当時は、学生さん・カップル・ご老人など、たくさんの方がここで音楽とコーヒーを楽しまれたのでしょうね。

6:1980年にドトールコーヒー1号店がオープン

人々の交流の場として、意見や趣味を共有する場としての役割だった喫茶店。
時代が流れるにつれて、自宅で淹れられるコーヒー器具やコーヒー豆も手軽に手に入れれる様になり、喫茶店に求められるものも変化してきます。
そんな要望に答える様に、1980年(昭和55年)にドトールコーヒーの1号店が原宿にオープンします。
安い&早い&手軽にコーヒーが飲めるというスタイルは、人々のライフスタイルに合っていて支持を集めます。
この時代は
  • ゆっくりとコーヒーを楽しむ→喫茶店
  • サクッとコーヒーを飲む→カフェ

という様に、目的によって人々はお店を使い分けていた様です。

 

ドトールコーヒーの名前は、創業者がブラジル時代に住んでいたサンパウロの
「ドトール・ピント・フェライス通り85番地」から取られたものだそう。

7:1996年にスターバックス1号店がオープン

ここからどんどん外資系チェーン店の参入が増加していきます。
  • 1996年:スターバックス1号店(銀座松屋通り店)オープン
  • 1997年:タリーズ1号店(銀座店)オープン
  • 1999年:サンマルクカフェの1号店(銀座)オープン

 

スターバックスが日本に参入してからは、益々カフェブームが広がっていきます。

こうして、コーヒーチェーン店が増加していき純喫茶店はグッと減っていきました。

アイスコーヒーの歴史は日本が発祥だった

アイスコーヒーは、実は日本が発祥なのではないか?とも言われています。

コーヒーを冷やして飲む、ということは今では当たり前ですが、実は最初のコーヒーの認識は「熱いもの」だった様です。

欧米などでは、冷たいコーヒーを飲む習慣がほとんどなかったみたいですね。

日本人がアイスコーヒーを飲み始めたのは、明治時代です。

1891(明治24)年の『明治事物起源』の中で(筆者:石井研堂)”東京の神田の氷屋で「氷コーヒー」というメニューがあった”ことを紹介しています。

大正時代になると、喫茶店のメニューにも冷たいコーヒーがメニューに加わります。

当時は「冷やしコーヒー」と呼ばれていたとのことで、これは関西などで「アイスコーヒー=レイコー」と言われることにも残っていますよね。

なぜ日本人はコーヒーを冷やして飲んだのか?

欧米では受け入れられなかった「コーヒーを冷やして飲む」という文化。

日本では、昔から野菜や果物を冷やして食べるのが一般的であったため「冷やす」という行為が当たり前の感覚だったからと考えられています。

アメリカなどでは、1990年代にスターバックスなどの大手コーヒーチェーン店が、アイスコーヒーの商品を展開するようになり、やっと広がったと言われています。

ちなみに、その頃に日本で広まっていたアイスコーヒーは「瓶にコーヒーを詰めて井戸水や氷に漬けて冷やす」という方法だった様です。

氷でコーヒーが薄まることを避けていた、ということで理に適ってますよね。

この様な方法で作るアイスコーヒーは、日本が発祥だという説がとても高いと言われています。

 

「珈琲」という漢字の由来と意味

コーヒーを漢字にすると、当たり前の様に今では「珈琲」という2語が出てきます。

「珈琲」という漢字を考案したのは、幕末の蘭学者:宇田川榕菴(うだがわようあん)と言われています。

この漢字の由来としては、コーヒーの木の枝に実った赤い実が、当時の女性が髪に飾っていた「かんざし」に似ていることから、ということです。

「珈」→髪に挿す花かんざし
「琲」→かんざしの玉をつなぐ紐

を表しているそうです。

実は「珈」は訓読みで「かみかざり」と読みますし、「琲」は訓読みで「つらぬく」意味は「玉を連ねた飾り」。

 

下記の画像がコーヒーチェリーなんですが、なるほど確かに!!

かんざし=玉を連ねた飾り、そのものですよね。

コーヒーチェリー

その昔、宇田川榕菴さんは、このコーヒーチェリーの実を見て「女性が付けている玉飾りみたいだなあ」という発想から『珈琲』という漢字を付けたのですね。

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